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『なんでコンテンツにカネを払うのさ?』

 

なんでコンテンツにカネを払うのさ? デジタル時代のぼくらの著作権入門

なんでコンテンツにカネを払うのさ? デジタル時代のぼくらの著作権入門

 

 

アニメビジネスへの興味から、コンテンツ産業にも興味があったので読みました。

 

デジタル化で機能不全が起きている著作権に関する対談本です。

 

アイディアマンである岡田斗司夫さんと、実証的な立場の福井さんという専門家が対談しています*1。もちろん福井さんのレクチャーから話が始まるのですが、岡田さんの未来社会予想の方に大きく話が流れることもままあります。

その意味でお互いの色が分かりやすくでていますから、どちらの話を面白いと思ったかで、次の読書につなげられると思います。岡田さんは言うまでもなく、福井さんも著作権に関する一般向けの新書を書かれている方です。

 

私自身は「著作権入門」として手に取ったので、福井さんの法務の具体例を交えた話が勉強になりました。

 

 

●以下、備忘になります。

●法制度の大きな区分として大陸法英米法というものがあるが、その観点からも著作権を捉える事が出来る。

天賦人権説などが生まれた大陸法的な考え方では、著作権はクリエイターの人格を保護しようとする観念的な側面が強い。たとえば著作者人格権

一方、英米法的な考え方では、世に出た作品はクリエイターとは別個の存在であるので、たとえ作者の意図が歪曲されようとも、自由に流通することを本義だとする。この立場からは著作権法は収入確保の手段として存在するので、あくまで海賊版を一定期間排除するよいう機能的な役割となる。

 

●パトロネージ→著作権という流れ。

著作権が存在しない時代は、現代のようなクリエイターの収益構造が確立なかったので、パトロンが存在した。(事後的な理解ではあるが、この側面から著作権の機能を考えると、現代のユーザー目線の著作権に対する「敵」「邪魔もの」感を相対化できた。)

 

著作権者であるコンテンツホルダーよりも、グーグル、アップル、アマゾンなどの流通を抑えるプラットホームの力が圧倒的に強いという現状について、福井さんの実務の現場での話が説得力があった。

ネットでは米国の一人勝ちです。…日本国内では強面で通っているコンテンツホルダーや、有名クリエイターの代理として私たちが交渉に当たる際には、 もう屈辱の連続ですよ。ほかの選択肢がない交渉とはそうしたものです。

ある巨大SNSを相手に、そのSNS関連のビジネスを行っている独立系のアプリ事業者を代理して交渉したときです。向こうが最後に「それは利用規約に反していますので、私どものサービスからあなたのアカウントを削除しましょうか?」と言ってきたら、こちらはお手あげでした。

…どんなにこちらに理があったとしても、流通の首根っこを握られていては、対等な交渉にはなかなか持ち込めません。…ああ、プラットホームを押さえられるとはこういうことなのかと。それぐらいに米国にヘゲモニーを握られているのが現状です。

この米国のグローバル・スタンダード感については、米企業の世界戦略が実は米国の特定地域の顔見知り同士で決まっていたり、米国固有の文化や価値観に規定されている部分も多いので、米国ローカルでもあると指摘。

米国が舞台となることで、日本の国内法が適用されないという現状を、明治初期の領事裁判権を例に引いている。

 

*1:ちなみに同じような対談本として『2ちゃんねるで学ぶ著作権』(2006)というのがありました。