「ロマンス」の条件 ―『ホールデンの肖像』から
以前の記事で、何気なく「ロマンス」という言葉を用いましたが、尾崎俊介『ホールデンの肖像 ペーパーバックからみるアメリカの読書文化』という、アメリカ文化についてのエッセイ集を読んでいたら、文学ジャンルとしての「ロマンス」に明確な定義を下しているくだりがあったので、備忘に。(せっかくなので本の紹介も兼ねまして)
ハーレクインロマンスと日本の少女漫画
本書では主に「ハーレクイン・ロマンス」の文化的側面に言及しています。ハーレクイン・ロマンスとはカナダの出版社のレーベル名ですが、もはや紋切り型の大衆文学ジャンルとして有名です。著者によればあらすじは大抵以下のようなもの。
そんな隠れベストセラーたるハーレクイン・ロマンスの人気の秘密を一言で言い表すならば、それは「大いなるワンパターンの魅力」ということに尽きる。誰もが振り返るほどの美人ではないけれど、見ようによっては可愛らしい、そんな元気いっぱいの若い女の子が、ふとしたきっかけから巨万の富を持ち、かつ大企業のトップでもある超美形のヒーローと関わりを持つことになり、始めのうちこそ喧嘩ばかりしているものの、いつしか互いに惹かれ合っていくというお決まりのストーリー展開。
日本だとまさに少女漫画のストーリー展開ですね。そしてその「ロマンス」の定義もまさに少女漫画的なものです。
ところで、今述べた類のシンデレラ・ストーリーにはポイントが三つある。「ヒロインの視点から物語が語られること」、「ヒロインが内面の美しさによって肉体的・経済的・社会的な力に勝るヒーローの心を捉えること」、そして「ヒーローとの幸福な結婚により、ヒロインの社会的・経済的地位が上昇すること」。実はこの三つの条件こそ、いわゆる「ロマンス」なるものの決め手であり、これが揃うか揃わないかによって、それをロマンスと呼べるかどうかが決まってくる。
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もともとイギリスが発祥のロマンス小説ですが、カナダのハーレクイン社が協定を結び、北米で出版したところ大ヒット。アメリカとイギリスでは文化的な背景の違いはありますが、そのような差異を乗り越えて、アメリカでも大衆的な人気を獲得しました。
…1963年にアメリカ市場への参入を果たすと、それまでイギリス上流の上品なロマンスに触れる機会の少なかったアメリカの女性読者層の心を掴むことに見事成功…。アメリカには「セルフメイド・マン」(立志伝中の人)を重んじる伝統があって、ゼロからスタートして自らの努力で成功と富を勝ち取った男が尊敬されるお国柄のはずなのだが、そんなアメリカにおいてすら、ヒロインが生まれながらにしてリッチな貴族的ヒーローと出会って恋に落ちるシンデレラ・ストーリーに、多くの女性がときめいたのである。ロマンスの空想世界の中では「額に汗して得た金」よりも「先祖代々受け継いだ遺産」の方がものを言う。そんなイギリス流ロマンスの約束事は、アメリカにおいても通用したのだ。
上記のような普遍的大衆性を鑑みれば、極東の島国でも少女漫画というジャンルで全く同じ欲望装置が再生産されている現象は驚くに値しないのかもしれません。
パラノーマル≒新伝綺?
ただし、比較文化的な面白さはやはりありまして、たとえば近年のアメリカでのヴァンパイア人気*1の背景に、「パラノーマル・ブーム」を指摘しています。これなども日本では、ゼロ年代に講談社ファウストで提唱された「新伝綺」の若者人気を連想させます。
ところでこのようなヴァンパイア・ブームは、それ自体として突発的に生じてきたものではなく、ほぼ同時期にアメリカで顕著になっていた「パラノーマル・ブーム」と同根のものであったと考えると理解しやすいとことがある。人間の能力を超えた何らかの特殊技能(魔法・変身・透視・時空移動・テレパシーなど)を持った者を主要登場人物に据えたファンタスティックな物語を一般に「パラノーマル・ストーリー」と呼ぶが、…
そのほかハーレクイン・ロマンスについてはフェミニズムとの微妙な関係なども系譜的に追っています。宇野常寛氏が『ゼロ年代の想像力』で男性の自浄的な美少女消費を批判して、「母性のディストピア」「レイプ・ファンタジー」といった言葉を使っていましたが、ハーレクイン・ロマンスに関しては、たとえば一部の言説で、ロマンスに耽溺する女性は実は母娘関係の融和を欲しているとか、安易なマチズモ批判ではない、女性読者目線の面白い言説が紹介されています。
アメリカのブッククラブ文化
あと、面白いのはアメリカのブッククラブ文化について扱っているところです。
会員の自宅へお勧め文学を月一で配送するBOMC(ブック・オブ・ザ・マンス・クラブ)、お茶の間の主婦に絶大な人気を誇るテレビ司会者オプラが番組内で主催するオプラズ・ブッククラブ、など。とくに後者の番組の影響力は大きく、アメリカでは地域ごとに有志の中年婦人たちが数人で読書会を行うことは当たり前に行われようになっているとのことです。
読書好きには素敵なお話『ジェーン・オースティンの読書会』(映画版しか見ていませんが)の情景を思い出させますが、本書で著者が言及するところ、『ジェーン・オースティンの読書会』はかなりアメリカの市井のブッククラブの雰囲気を掴んでいるとのこと。ただし、女性が主体となる読書会ならではの傾向を次のように考察しています。
ところで、こうした近年流行の対面型ブッククラブにおいて重要なのは、本を読むことではない。…実は、女性主体のブッククラブにおけるディスカッションは、男性には想像のつかないもの、少なくとも男性が「ディスカッション」という言葉からは想像する行為とはまるで別物なのだ。
一般に男性がある文学作品について「ディスカッション」すると言えば、その作品のどこが良いのか悪いのか、何故良いのか悪いのかを議論することを意味するのであって、それはつまり作品の分析をすることに他ならない。ところが女性主体のブッククラブにおいて「ディスカッション」すると言った場合、作品の分析は基本的には行われない。では何について語り合うのかというと、作品にかこつけて、ブッククラブのメンバーの一人ひとりが自分のことを語るのである。
この辺は、批評癖の強い(=男性的な)オタクカルチャーとは一線を画すところでしょうか。ただ『ジェーン・オースティンの読書会』では(著者はSF作家でもあるので)、文芸好きの婦人たちの読書会にひょんなところからSF読みのギークが加わります。彼が文芸読みの女性にSFを読ませよう頑張るところは、異文化コミュニケーションのようで微笑ましいです。
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*1:90年代前半のアン・ライス『夜明けのヴァンパイア』(『インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア』の題名で)映画化から最近の『トワイライト』シリーズのメガヒットまで