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『台風のノルダ/陽なたのアオシグレ』見ました

3週間限定上映とのことで、『台風のノルダ』と併映『陽なたのアオシグレ』を見てきました。

だぶん方々で言及されているはずですが、スタジオコロリド作品にはジブリライクなところがあって、鑑賞中否が応でも気になります。

 

陽なたのアオシグレ

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陽なたのアオシグレ』はストーリーや世界観的にメルヘンなところがあって、少し興味の対象から外れるなあと思いながら見ていたのですが、クライマックスのジェットコースター映像でスクリーンに釘付けにされました。

ヒロインのシグレちゃんの(萌えとは違う)可愛さや、人間の躍動感のある動きを見るにつけジブリ的な感動を味わえるのですが、クライマックスのスピード感は突き抜けていて、むしろハリウッド映画のような演出に新しさを感じました。

作中で主人公の少年が走る表現が素晴らしくて、それはもうかのトム・クルーズも顔負けなのですが、クライマックスでシグレちゃんを追って疾走するシーンの加速感がこの健全な主題のフィルムにあるまじきスピードなのです。「おいおいリアリティ的に大丈夫なのか」という心配を忘れてしまうほどに畳みかけます。

 

ということで、ジブリの皮を被ったスピード狂、とうのが今作(ひいては石田祐康監督)の印象。デジタル表現云々より、そういった感性と技巧にモダンさを感じました。
ただしこれは後述の『台風のノルダ』でも言及しますが、アニメで物語を語れるかとなるとまた別の問題となるのでしょう。正直、前述のように物語世界としては興味が持てませんでした。ポスト・ジブリというと、あの人間味のあるアニメーション表現(ジブリ・ブランドの象徴)の継承が焦点になりうると思いますが、ポスト・宮崎駿と言ったとき、それは国民的な物語アニメ作家という意味合いが強いのではないでしょうか。たとえばヒットメーカーの細田守監督は物語を語るのに非常に長けた作家で、彼が国民的なアニメーション作家となりつつあることの大きな要因の一つでしょう。

 

 『台風のノルダ』

 

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つづいて『台風のノルダ』。
こちらもてっきり石田監督作だと思っていたのですが、元ジブリのアニメーターという経歴を持つ新井陽次郎さん(26歳!)の監督デビュー作とのことです。
私が見聞した範囲のブログの批評では、物語や脚本の弱さが指摘されています

 

アニメの断面: 感想:台風のノルダ

 

スタジオジブリの正しい後継者と言えるアニメート、だが…「台風のノルダ」&「陽なたのアオシグレ」 - 17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモード


物語が弱いというのはストーリー的にひねりがないということでもありますが、登場人物に魅力がないということでもあります。
たしかに仲互いした男友達の絆の再生というテーマを、野球部というこの国の少年たちのホモソーシャリティ形成において覇権的地位にあるガジェットと、ほのかなBL臭で彩っていますが、たいして感情移入出来ません。まあでも実はそこ(脚本)はそれほど気になりませんでした。


むしろ演出で「あと一歩ほしい」と感じるところがありました。
たとえばクライマックスで、ノルダの首輪を外そうと、両サイドから二人の男で首輪を引っ張るシークエンスがあります。手の甲の筋の入った描写であるとか、無重力のなかで二人で足の裏を合わせて踏ん張るというアイディアとか、見ごたえがあってよかった。ところがそのあとに2つ見せ場になるシークエンスがあるのですが、そこであと一歩足りなかった。
1つは首輪を壊すために、主人公の男子が野球のボールを投げるところです。まず物語的に、捨てたはずの野球をもう一度やり直すというフラグになる重要な意味を持つ場面ですが、そもそもこの男子がピッチャーだったのかとかそういう情報が語られていない。どれほど野球を好きだったのかということも語られていないので、彼が投球をすることに感慨がありません。まあそれ(脚本)はいいとしても、この投球場面で明らかに欠けていたのは、スピードや重力といったアニメーションの躍動感をつかさどる部分だったのでした。一番の見せ場になってもおかしくなかったのに、なにかすごく普通でした。
次に、首輪から解き放たれて水中に沈んだノルダを助ける場面です。なぜか急速に水が氷り始めて、主人公の男子とノルダを追うように氷が迫ってきます。間一髪のところで主人公の男子がノルダを救出、となるはずのシークエンスでしたが、ここもすごく緊迫感がないです。主人公が最後の片足を水中から引き揚げた直後に水面がすべて氷に覆われつくすという瞬間を律儀に描いているにも関わらず、です。事象の継起は描いているのですが、「間一髪」を描いていません。


上記のアクション演出の弱さは、作風は違えど『陽なたのアオシグレ』との大きな違いだと感じました。

ちなみにジブリライクということでいえば、キャラデザインもさることながら、声優の演技が端的にジブリっぽいと感じました。長いセリフなどは若干呂律が回っていないところもあって、しかしそういうところもリアリティとして許容しているのであろうリアリティ解釈は、ジブリのリアリズムに影響を受けているのではないかと思わせます*1

これも、いわゆる「アニメ」のフィールドのプロである早見沙織さんを起用している『陽なたのアオシグレ』とは大きな違いでありました。

 

 

*1:しかし様式化されたアニメに慣れ過ぎているせいか、このアニメーションから「声が浮いている」感覚がリアリズムとして成立しているというのは、とても不思議な気分になる。一種の異化作用に感じさせるという意味では、正しく芸術的な創作態度なのかもしれない。