お楽しみはパジャマパーティーで

読書の備忘、アニメの感想などを書いています

『名探偵コナン』について語るときに僕の語ること ―終わらない非日常と日常系の発見

 

あけましておめでとうございます。

新年早々パクリだらけのおしゃれなタイトルを思いついてしまいました。恐縮です。

 

実は年始に久々に『名探偵コナン』の劇場版シリーズを見ていたら、思い出したことがあったので書いてみます。

 

長寿シリーズのループ感 

たとえば『名探偵コナン』や『はじめの一歩』など長寿シリーズがありますが、とくにこの2作に共通しているのは、ほぼ同じ構造を繰り返しているということです。コナンなら事件であり、一歩なら試合です。

はじめはそれらのコンテンツを楽しんでいるのですが、あまりにもシリーズが長期化すると食傷気味になります。ただしストーリーは漸進的に進み(たとえば黒の組織)、そここそが読者を引きとめるポイントでもあります。

ということで、これらの長寿シリーズを読んでいると、かなり惰性になってくるのです。しかし、止めどころも定めにくくなってきます

 

マンネリズムの先に

変な話ですが、マンネリ化した読者として私は、能動的に面白さを求めていたのだと思います。事件や試合などのメインイベントの合間に挿入される、キャラクター同士の掛け合いといったサブエピソードを好むようになり、あまつさえサブエピソードのみを拾って読むことの楽しみを覚えました。

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所構わず巨大化するラブコメ探偵」はクリティカルな名言

 

当時、私は日常系を知りませんでしたが、サブエピソードを数珠つなぎ的に読むということは、つまるところ日常系の快楽だったのではないか。それがぼんやり考えたことです。

それらのサブエピソードはキャラの形成の上で重要です。構造化されたメインイベントよりも、サブエピソードでの何気ない描写がキャラの造形に貢献します。例えば、wikipediaなどに記述される登場人物の項目は、サブエピソードのデータベースから引き出されているように感じます。このような、ストーリーを意図的に閑却して、キャラクターの造形や関係性を楽しむということは、まさに日常系の提供してくれる快楽です。

コナンにおいて「黒幕」の正体は物語の大きな求心力でありますが、一方でサブエピソードの数々で明らかになるキャラクター達の知られざる一面も読書のインセンティブなのです。マンネリズムの先に日常系、ひいてはキャラクター消費を発見したというのは私にとってなかなかの経験だったのでした。