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お楽しみはパジャマパーティーで

読書の備忘、アニメの感想などを書いています

カタルシスが足りない! ―アニメ雑感

 

前々回の記事で『結城友奈は勇者である』について書きましたが、最新話はセカイ系みたいになってました。汗

 

演出にしろ、脚本にしろ既視感のある本作ですが、まあ既視感自体は、オマージュとかパロディという言葉があるように、必ずしもマイナス要素にはなりません。

ただし、本作は「何か足りない感」が強いです。

 

まどマギ』第10話との比較

たとえば、最新(第10)話のプロット。

アバンタイトルが主人公の親友である東郷の曰くありげなシークェンスから始まります。

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本作の既視感の源泉の大部分を占めているであろうアニメに『魔法少女まどかマギカ*1がありますが、まどマギ』の第10話も、サブヒロインである暁美ほむら視点でエピソードが語り始められます。私はこの第10話が好きですが、それはそこにプロット的なダイナミズムがあるからです。

先ほど暁美ほむらを「サブヒロイン」と形容しましたが、正確には彼女は第10話でサブヒロインとヒロインの間のマージナルな存在になります。つまり、第10話はただ単に、「視点人物をサブヒロインに変えた変則エピソード」なのではなく、第9話までを内包して(覆して)しまう叙述トリックのような驚きがあります*2

で、このような経緯で何かを期待していると肩すかしをくらうのが『結城友奈』なのでした。第10話で、東郷が過去に実は…という設定は点と点をつなぐ面白さではあるのですが、どうせなら物語自体をメタな視点で再編するような、(ただの「回想」にとどまらない)構成上の面白さがあるのが好き…という私自身の好みではあるのですが。

 

あと、エピソード後半の、『トゥルーマン・ショー』(古い)展開ですが、ここもブロックバスターのような構図と、荘厳なクワイアで煽り、やりたいことは分かるのだが、何かが足りない感があります。例えば、現実風景との色彩のギャップだとか、バーテックスのおぞましさとかでしょうか。

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現実世界の外側に…

 

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実は結界が張られていて…

 

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本当の現実はエヴァばりの終末でした。

 

ということで、『結城友奈』を見ていて気付いたのは、

カタルシスが足りない!

そして私自身、批評で作品を武装解除することのカタルシスと、潔く降伏する騙されることのカタルシスを、同時に欲望しているということが明らかになったのでした。

 

中二病の読み直し

上述のような好みでいきますと、今期では『異能バトルは日常系のなかで』が面白いです。オールドスクールなアニメーション表現もいいのですが、物語構成も適度に紋切り型を相対化しているところが小気味よいです。

中二病の二面性」をテーマにするアニメは多いですが、本作を見て「中二病の二面性」そのものもまた「中二病」的ということを啓発されました。主人公の安藤は中二病のキャラと誠実なキャラの二面性を持っていて、後者が本作の人情ドラマを支えています。そしてそのイノセントぶりのチート感がまた中二病っぽいという。笑

岡本信彦さんの演技が素晴らしいです。

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第2話から、安藤の真の力(イノセント)が明らかになる

 

 

 

*1:しかし本当は既視というよりも既聴、つまり「ゆうき友奈」のCVが「ゆうき碧」っぽいところなのではないかと感じているのです。

*2:余談ですが、「新本格」の叙述トリックの快感というのは得難いものですが、それが前に立ちすぎると、叙述にコミットできないという別の問題を抱えてしまうのが悩みです。つまり「叙述トリックの傑作」のような情報を先に得てしまうと、現在進行形で読んでいる文章がすべて上位の叙述のための物語内物語のような気がしてしまって、いまいち乗れません。ですから、良質の叙述トリックは、読者の手に作品が渡る前に色々なものを騙さないといけないのかもしれません。『まどマギ』の場合は、第3話がいい意味で目くらましになってくれた面もあります。