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お楽しみはパジャマパーティーで

読書の備忘、アニメの感想などを書いています

『Free!』第11話―クロースアップとアニメのテクスチャーについて―

 

以前の記事でかなり適当なことを書き散らしてしまいましたが、デジタルによるシームレスなボケがアニメに独特なテクスチャーを与えているというのが要旨でした。しかし、おかげで割と気を留めて見るところが増えてしまい、『Free!』の最新話を見ていたら、クロースアップでのボケがやけに気になりました

 

とはいえ、そもそも被写体とカメラの距離が近くなれば、被写界深度が浅くなってボケが生まれやすくなるのですから、クロースアップでボケが生まれるのは当たり前なわけです。ただ今回『Free!』を見ていて、そのボケの使い方がかなり様式化されていると感じました。

 

●クロースアップが多かった11話

今話では、寡黙な主人公である遥の内面を、周囲の人物との接触を通じて浮き彫りにしていきます。そこで各登場人物たちと遥の対話が描かれるのですが、演出はストレートにバストアップやクロースアップを多用しています。今回見ていて感じたのは、アニメのクロースアップの単調さをカバーするのに、ボケ表現が重宝だということです。

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●クロースアップが露わにするテクスチャー

実写ではカメラが人間に寄れば寄るほど肌のテクスチャーが詳細になるわけですが、セルアニメの人間の肌のテクスチャーにいくら寄っても産毛や毛穴は見えてきません。つまり、接写がただの拡大になってしまいます*1。たとえば二倍ズームしても、元画像の情報量は変わらないので、逆に情報量が二分の一になってしまうようなものでしょうか。

 

しかしクロースアップ時に、シームレスなボケが情報として加わることで、そのような情報の希釈化をカバーしているのではないかと思いました。いいかえると、ズームとクロースアップの差異を演出しやすくなったのではないでしょうか。

 シームレスなボケのおかげで、演出としてクロースアップが使いやすくなったのかもしれない。そしてクロースアップ演出の代表的なものが、今話の『Free!』がそうであったように、シリアスな心象表現です。また、それはボケそれ自体が心象表現へのトリガーとして機能しうる*2という可能性にも繋がるでしょう。

 

ただしクロースアップの演技合戦というのは、テレビドラマのようにセンセーショナルではあるのですが、ちょっと安易であり、別の意味で単調であります。このような技法がどのように定着していくのかは興味深いところです。

 

今話では、遥と幼なじみの真琴との対話がクライマックスであり、ここでは不安定な心象表現として、上述のセル面におけるシームレスなボケ以外にも、カメラワークとしてボケやブレが多用されていました。

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↑遥

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↑真琴

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↑遥

 

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↑参考:ボケがカメラのテクノロジーに依存しているわけではないので、クロースアップでも演出上必要なければ、もちろんボカさない。

 

今回いろいろ考えて気付いたのは、アニメを特徴づける輪郭線がありますが、ボケがそれを溶解させてしまうということです。そして案外私自身の違和感の源泉もその辺にあるのかもしれないと思いました。

 

 

●余談ですが

リアリズム的なクロースアップの発想(寄れば寄るほどテクスチャーが細やかになるという発想)で思いだしたのがこれ。『とらドラ』のミノリン。23話より。

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ミノリの感情の高まりに比例して、クロースアップし、影と皺の動きを律儀に描いています。放心したような、のっぺりとしたミノリの表情が、変化していく演出は、若干ホラーのようでもあります。

 

並べてみると、上から三つは大分キャラの作画デザインが異なってますね。セルアニメのテクスチャーはクロースアップしても変わらない、と上述しましたが、画面に対するキャラのサイズ比で作画の巧拙が変化するのは、手作業であるアニメならではのカメラ的な問題といえるかもしれません。

上から一番目と二番目は、手前のリュウジのサイズは変わらないのですが、ミノリのサイズと後景との距離感が変化していることから分かるように、上から二番目のショットは典型的な望遠カメラの使用例です。

そして三番目のミノリのクロースアップは田中将賀な作画でばっちり決めている。正面からのシンメトリーな画で、若干ボブ気味に広がる髪が素敵。

 

さて、四番目と五番目の、「え、この肌(セルのテクスチャー)こんなに皺でるんだ」というような感覚は不自然と言うべきか、異化効果と言うべきか…

 

*1:デジカメでいうと、光学ズームとデジタルズームの違いのような。

*2:浮かび上がるような立体感が、内面の表出という表現と親和性がある