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読書の備忘、アニメの感想などを書いています

『アニメ学』

 

アニメ学

アニメ学

 

 

 先日『アニメ研究入門』という本を紹介しましたが、いま『アニメ学』という本を読んでいます。基本的な違いは、『アニメ研究入門』が論文執筆用のネタ、モデル本であるのに対して、こちらはアニメへの理解を深めるための概説書といった感じです。「アニメ」は学問分野として浅いので、「学」を打ち立てるにあたって、章立てによるテーマの選び方自体が問題意識を反映していて興味深いです。

第一部 アニメとは何か
 第一章 アニメとは何か(京都精華大学 津堅信之)
 第二章 アニメの歴史(京都精華大学 津堅信之)

第ニ部 アニメの制作
 第三章 アニメ演出論――アニメにおける演出、または監督とは(大阪芸術大学 高橋良輔)
 第四章 アニメの制作手法と技術(東京工科大学 三上浩司)

第三部 アニメビジネス
 第五章 アニメビジネスの基本モデル(長野大学 木村誠)
 第六章 日本のアニメ市場(株式会社ドワンゴ 片岡義朗)
 第七章 デジタル時代のアニメ流通(株式会社バンダイチャンネル 松本悟)

第四部 アニメの法律と政策
 第八章 アニメと知的財産法(牛木内外特許事務所 牛木理一)
 第九章 日本と海外のアニメ政策(青山学院大学 内山隆)

第五部 アニメの教育と学術
 第十章 アニメーションにおける人材育成(デジタルハリウッド大学・大学院 高橋光輝)
 第十一章 アニメの学問分類――マンガ・アニメは学問として認知され成立するのか(広島大学 村澤昌崇)

 批評的な意識だと、親しみやすいのは第一部と第二部でしょうか。

 

「アニメ」とは何か

●定義

第一部ではまずアニメという概念について、アニメーションと区別しながら、おおまかな定義をしています。

アニメーション

アニメーション全般。具体的には、絵、人形などの動かない素材を少しずつ動かしながら、映画撮影用カメラをはじめとする撮影装置・ソフト等を使って、コマ撮りによって撮影して(もしくはコマ単位で管理されて)得られて映像を、スクリーン、モニター等に映写することで、動かない素材を動いているように見せる映画の一分野。

 

アニメ

「アニメーション」の中でも、日本で、映画・テレビ等の商業目的で制作され、かつ、主としてセルアニメーション(もしくはセルアニメーション的な絵柄を使ったデジタルアニメーション)の手法を使用し、ストーリー表現に重点を置いて制作されたアニメーション。

気になったろころを太字にしてみましたが、アニメーションが「コマ」という概念を持っているのにたいして、アニメにはその定義がされていません。むしろアニメの定義として「セル」という概念を強調しています。「概念」として捉えた理由は、丸括弧内で「もしくは~」としっかり補足されているように、必ずしも技術環境に制限されているわけではないからであり、これらはアニメ表現を考える上で重要な視点のような気がしています。

次に、アニメーションが「動かない素材を動いているように見せる」というように、animate(~に生命を吹き込む)という英語の意味に関係しているのに対して、アニメは「ストーリー表現に重点」とだけ言及されています。

 

●リミテッドアニメーションは何を制限(リミテッド)しているのか

上述の大まかな定義を立てた後、さらにアニメを成立させている細かな特性を列挙していくのですが、興味深かったのが「フル/セル・アニメーション」と「撮影」の項です。

フル/リミテッドの区別については、アニメは、ディズニーのセルの伝統を引きつつ動きを効率化させた「リミテッドアニメーション」とみなされることが多いとしています。

ディズニー以来の伝統的なセルアニメーションセルアニメーション的な絵柄を使ったデジタルアニメーションを含む)であること。加えて、ディズニーの作品のような、キャラクターの全身を作画(アニメート)して豊かに動かす「フルアニメーション」ではなく、身体の一部を限定的に動かす「リミテッドアニメーション」によって作画される傾向が強い

 

フル/リミテッドの違いについて詳述しており、要約すると、日本では慣習的に「コマ数」(具体的に「三コマ撮り」*1より多いか否か)という絵の枚数でリミテッドを定義してきたが、発祥地のアメリカではもともと「動き」が限定されているという意味で使われていた。

1944年にディズニー出身のスティーヴン・ボサストウがUPAというスタジオを設立。テレビアニメの時代に適応した技術として、身体の一部分を限定的に動かすアニメーションを初めて行い、当時の業界に大きな衝撃を与えたとのことです。これが「限定的に動かしたアニメーション」を意味する「リミテッドアニメーション」と呼ばれ、これと区別するために伝統的なスタイルを「フルアニメーション」と呼ぶようになったそうです。ただし、「三コマ撮り」を基準に定義するのは日本独特の定義だが、アメリカにもコマ数で定義する例もあるので、デファクトとして「絵の枚数のリミテッド」という定義も容認するべきかもしれない、と著者は付け加えています。

 

●「撮影アニメ」とは

撮影」に関しては、海外のアニメーションに比べて、アニメはカット数が非常に多くカメラワークが複雑と指摘しています。

歴史的視点でいえば、『あしたのジョー』(1970~1971)を手がけた出崎統の作品が典型だが、タッチを効かせた止め絵の使用、入射光(画面隅からチラチラと差し込む表現)、透過光(爆発やレーザー光線など、光を強調するために光のみ別に撮影して合成する表現)の使用など、要するに絵を動かすことなく演出を行う作品が、アニメには多くある。この延長線上として、一枚の絵をカメラワークによって見せたり、時には一秒以下の短いカットを積み重ねて観客の緊張感を高めたりする技法も現われるようになった。

これらはいずれも、作画上の技法ではなく、撮影上技法である。

(…)

この伝統は近年、デジタル技術が普及してさらに洗練されており、キャラクター(またはその演技)や、自然景観(夕景、夜景など)に絡む複雑な光や色彩表現、カメラワークなどが競われている。こうして、作画ではなく撮影上の処理を演出効果として前面に出した作品は、ファンや批評家らから俗に「撮影アニメ」といわれることがある。

 「映画的」と評されることが多いが、これもリミテッドのように、経済的な要請から生まれた側面の強い技法だとのことです。作画アニメに対して「撮影アニメ」というのは初めて聞いたのですが、撮影というとカメラを想像しちゃうし、セルアニメでは画面内のカメラワークの表現は作画の領域だから、撮影という言葉はややこしい気もする。でもアニメーション・スタンドのような撮影台を使用していた時代を考えれば、そこで施す演出という意味で、撮影という言葉は実感的だったのかも。

 

アニメの歴史

1963年の『鉄腕アトム』放映を境に、<『アトム』以前:アニメ前史><アトム以後:アニメ本史>と分けています。

●『アトム』以前:アニメ前史

アトム以前としては、「東洋のディズニー」を標榜した東映動画が有名ですが、大正末期以来1950年代までの日本のアニメーションはディズニーを全面的に手本にしていました。一般には<東映動画=フルアニメーション=ジブリ系譜>と<虫プロ=リミテッドアニメーション=テレビアニメの系譜>を対比させる通史があるように思いますが、著者はアトム以前に、ディズニー以外にも北米のアニメの影響があったことを、2点指摘しています。

一つ目はカナダの実験アニメーション作家ノーマン・マクラレンら、海外アニメーションの紹介。アニメーション芸術の機運が盛り上がり、日本では「アニメーション三人の会」が発足しました。

二つ目は、1953年の民放開局以来、放送枠を埋めるために、アメリカを主とする数多くの海外ドラマや、『トムとジェリー』『ポパイ』などの海外アニメーションが輸入されたことです。『アトム』放映前年の1962年に限っても、一週間当たり約50本のアメリカ製テレビアニメーションが放映されていたそうです。

 

アトム以後:アニメ本史

アトム以後の本史に関しては、アニメブームの定義を通じて、「テレビアニメ制作本数」で語るよりも、アニメ表現的に見て技術革新が起こり、観客層を広げたという観点から「ヤングアダルト世代の存在感」に着目する必要があると述べています。要するのオタク層との関わりがアニメ史の変遷と大きく関わっているということのようです。

 

ちなみに

岩波書店の映画叢書の一冊に『アニメは越境する (日本映画は生きている 第6巻)』という論集があります。海外のアニメ研究家の論文が抄録されていたりするのですが、これについて著者は次のように評しています。

残念ながら、いずれの論考とも、比較・検証対象として挙げられている作品が少なすぎたり、また技法面での誤解があったりして、特に日本の実務者や批評家などにとっては問題の多い著作と読めるかもしれない

 やり玉に挙がっているのは、マーク・スタインバーグ「デジタル・イメージと諸次元」とトーマス・ラマール「フル・リミテッドアニメーション」という論文*2です。

実はちょうど少し前に読んだのですが、両方ともアニメのテクノロジーの面を重視してアニメ表現へとアプローチしているものなので、「技法面での誤解」があるなら致命的だと思います。この辺もう少し突っ込んだ反論を聞いてみたいと思いました。あるいは「アニメ」をめぐる言説のイデオロギー的な側面が露呈しても面白いのではないかと。というのも私自身、本書でアニメ史を概観してみて、アメリカの影響が大きいということが分かったのですが、それを「意外」だと感じるくらいにクール・ジャパンしてしまっていたと言いますか・・・

*1:映画と同じ一秒間24コマを基準とする中で、1コマ(セル画一枚)を3コマ分の長さで使うということ。つまり一秒間に使うセルが、24の三分の一の8コマ(セルが8枚)で済むということになる。一方で、一秒間24コマを最大出力とする「一コマ撮り」、その半分の「二コマ撮り」までがフルアニメーションとされる。つまり一秒間12~24枚。ディズニーは通常二コマ撮りとのこと。

*2:後に『アニメ・マシーン -グローバル・メディアとしての日本アニメーション-』として完訳