お楽しみはパジャマパーティーで

読書の備忘、アニメの感想などを書いています

アニメのメガネについて考察してみました

●なつかしい眼鏡

前エントリーで『あの夏』について書きましたが、本アニメはメガネをフィーチャーしたアニメでもあります。たとえば主人公カップルがどちらも眼鏡をかけていて、その二人がキスをするときに眼鏡同士がぶつかる「カチャ」という音がするなどの演出があります。

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 昔は眼鏡といえばイチカ先輩(左)のようなデザインでしたが、今はすっかりマイノリティーになった感があります。

 

●メガネ属性の最適化

私は継続的にアニメを視聴してきた人間ではないので、アニメを少しづつ見るようになったときに違和感を感じたのは、アンダーリム眼鏡(フレームが下枠だけついた眼鏡)の存在でした。

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↑『けいおん』のノドカちゃん。実は中学時代は、伝統的なメタルフレーム

 

現実世界の需要とは反対に、おそらくアニメの中でアンダーリムに需要があるのは、メガネ属性を付与しつつキャラの演技(目)を邪魔しない、という演出的な要請でしょう。

 

ネットで次のような詳細な記事を見つけました。

アニメにおける眼鏡描写、からの、『境界の彼方』栗山未来の眼鏡が凄いという指摘 - OTACRITIC

そして上記記事からのリンク

アニメキャラが下だけにフチのあるメガネ(アンダーリム)をかけている理由 : 頭おかしい認定ニャ

 

●属性からガジェットへ

②の記事にもありますが、眼鏡の上の縁を省略するのは便宜的な手法、というお約束的な側面があると思います。ただし、伝統的なメタルフレーム(縁の細い、イチカ先輩タイプの眼鏡)のデフォルメ表現よりも、セルフレーム(カラフルで太い縁)のアンダーリムが好まれたのは、メタルフレームのデフォルメが不自然だからではなく、セルフレームのもつ情報量(色、太さ)がメガネ属性付与に有効だからでしょう。そしてその情報量がキャラの目とバッティングするのを回避する方法として、アンダーリムが定着したのでしょう。

テレビアニメはリミテッド・アニメーションという経済的な効率性によって、記号化の技術と表現を洗練させてきた歴史があるわけですから、リップシンクが不自然でないのと同様、メタルフレーム眼鏡のデフォルメも不自然だったとは言えないと思います。

ところが興味深いのは、「本来はフルフレームだが表現方法として省略している」から始まったであろうデフォルメ描写から、「そもそもアンダーリムのメガネをかけている」というアイテム設定が主流となったことです。

たとえば『けいおん』のノドカの画像を見ると分かるように、光の反射でレンズの切り出し部分が明確化されていますが、あれはもはや「本来はフルフレームを省略したもの」ではないわけです。

もともと、メガネ属性を付与するのに都合のよい表現だったという事情が、単純にアンダーリム眼鏡というデザインがガジェットとして好まれるようになったということなのでしょう。

 

京都アニメーションの試み

①の記事の指摘で面白いのは京都アニメーションのメガネ表現です。上に『けいおん』のアンダーリムを挙げましたが、『境界の彼方』のフルフレーム、『たまこまーけっと』のハーフリム(上縁眼鏡)の例が挙げられています。

境界の彼方』は主人公がメガネ好きであり、メガネ属性ではなくガジェットとしてのメガネが物語的に必然なため、作品もしっかりそれに応えています。

 記事では「瞳の中央を横切っていくスタイル」という表現をされています。興味深い着眼点です。

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↑『たまこまーけっと

眼鏡をかけるだけで、「普段はコンタクトだが、帰宅後は眼鏡に掛けかえる」という背景情報が加わるとともに、ルーズな鼻眼鏡とすることで「普段はコンタクトだから、家用の眼鏡にはこだわっていない」という、逆説的な反メガネ属性が加わっている。

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↑『境界の彼方

眼鏡のレンズ部分の色が異なる。眼鏡の物質性が強調されている。

 

よく考えてみましょう。

そもそもフレームが瞳を横切るなどという視界の邪魔になる眼鏡の掛け方は、現実世界では通常しません。レンズの焦点と、目の焦点はズレないのが理想でしょう。しかし例外があります。それは老眼鏡です。老眼鏡は視線を落として使うので、いわゆる鼻眼鏡のようなズレた、ルーズな掛け方をします。

 

●なぜルーズな掛け方をするのか

ではなぜアニメのキャラが、わざわざ老眼鏡のような掛け方をして、それをカバーするようにリムを消去したのでしょうか。一つはカメラアングルの問題があります。しかし、これは私の仮説ですが、大きな理由は身体から分離させるためでしょう。

たとえば『ドラえもん』のノビ太が典型ですが、眼鏡が目と同化してしまっています。

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↑ 視力を引きだすうえでは、理想的な眼鏡の掛け方ではあるが・・・

 

眼鏡が身体と同化するという意味では、その究極系がコンタクトレンズでしょう。しかしコンタクトを強調すると、もはやメガネ属性ではなく、視力が悪い人ということになってしまいます。そもそも画的にコンタクトの表現ができない。(その点、『たまこまーけっと』の演出は技巧的です。野暮ったい眼鏡をルーズに掛けさせることで、「普段はコンタクト」感が増しています。)

つまり、眼鏡のコミカライズは目と同化しやすいのですから、眼鏡を際立たせたい時に、眼鏡を可能な限り目と離す方向で表現が最適化されていったのではないのでしょうか。そこで生まれたのが、アニメ特有の鼻眼鏡のような掛け方だったのではないか。

 

●京都アニメのさりげないリアリズム

蛇足ですが、じつは『境界の彼方』を見ていてずっと気になっていたことがあって、それは鼻の頭のあたりにある影です。なぜか登場人物の鼻頭に影が描かれていることが多い。通常、美少女を描くアニメやマンガで、正面のアングルから描かれる鼻って、簡潔に描線で済まされることが多いと思うのです。(逆に横アングルだと異様に強調される。)ところが『境界の彼方』はけっこう鼻の描写がしつこい。

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そして思ったわけです。これは鼻の尾根を指定しているのだ。つまり鼻が低いことを明示している。なるほど、眼鏡がズレるわけである。つまり『境界の彼方』で眼鏡がズレているのは、アニメ的慣習ではなく、あくまでリアリズム的な設定がある!

 

・・・しかしまあ実際問題として、眼鏡は鼻と耳に掛けるものであって、目に付けるものではないのですが、人間の顔をコミカライズする時の顔のパーツの比率の問題で、アニメでは鼻を起点に眼鏡をかけさせられないという事情はあるかと思います。その点『境界の彼方』は、ちゃんと鼻に眼鏡を乗せているわけです。

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↑ フレームの内側の鼻盛りもしっかり描写。実際の眼鏡に取材しているのは明白。

 

●属性でもあり、ガジェットでもある

上述の議論では、上部フレームの省略から、アンダーリム眼鏡という商品への固定という現象が生じたということですが、この辺の事情で例外的に、可逆的にアンダーリムがフルフレームになる表現がありました。

魔法少女まどか☆マギカ』の暁美ほむらです。彼女の眼鏡は明確にアンダーリムという設定です。顔から眼鏡をはずす描写がありましたが、眼鏡単体でしっかりアンダーリムです。

しかし、第十話でマドカに、キュウベイにだまされる前の自分を救ってほしいと頼まれた後、悲壮な決意を胸に、「必ずあなたを守って見せる。」というシーンで、ホムラの目のアップになります。ここでなぜかフルフレームの眼鏡です。

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でも覚悟を決めてからは、彼女、逆に眼鏡をはずしてしまうんですよね。つまりホムラの物語において、メガネとは「弱さ、優しさ」の属性です。そしてそれを通過儀礼的に捨てる。しかし一方でニッチなガジェットでもある。画的な要請でフレームが伸びることもある。

 

いやはや、上部フレームの欠如に違和感を抱いたという話を枕に書き始めたわけですが随分遠くまでやってきてしまいました。今では、すっかりアンダーリムに慣れてしまい、近頃はというと、いつのまにか上部フレームの伸長に敏感になってしまいました。