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初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

 

初音ミクは、60年代から脈々と続いてきたポップミュージックとコンピューターの進化の末に、必然的に生まれたものだった。

 

この本は前々から気になっていたのですが、『視覚文化「超」講義』で言及されていたので触発されて読みました。

大仰なタイトルから批評的な内容かと思っていたのですが、「この本は学術的な論考をまとめたものではなく、僕自身が体験した一つのドキュメントになっています」と著者自身が言っているように、関係者のインタビューをたくさん交えた、ノンフィクションやルポの文章です。

著者はロッキング・オンの元編集者。あとがきによれば、学生時代にはアニメ音楽でも有名な神前暁氏も所属していた作曲サークル「吉田音楽製作所」にも所属していたそうです。

 

前半は音楽史的に初音ミクのムーブメントを位置付けます。これは著者自身のオリジナルなモチーフ。具体的には「1967年、1987年、2007年という『20年おきに訪れるサマー・オブ・ラブ』の一つの見立て」と言うように、カウンターカルチャー系譜に位置付ける試みのようです。

後半は、2007年の初音ミク登場から、いかにブームが盛り上がっていったかを開発者、ヒット曲、重要ボカロPのインタビューなどとともに振り返ります。最後で、サマー・オブ・ラブと見立てた以上不可避の「ブームの終焉」という問題についても、しっかり言及しています。

 

サマー・オブ・ラブについて

80年後半に関しては、シンセサイザー、サンプリング、MIDI規格などの電子音楽のキーワードと、ボーカロイドへの連続性はイメージしやすいと思います。

60年代後半はどうでしょう。先に「カウンターカルチャー系譜」と引用しましたが、より具体的にはアメリカ西海岸のヒッピーカルチャーが有名です。これが初音ミクにどうつながるのか。じつはPC/ネットカルチャーとヒッピーカルチャーには親和性があった、ということです。この辺は本書の参考文献にも挙げられている池田純一『ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力 (講談社現代新書)』に詳しいです*1。キーパーソンはスチュアート・ブラントという人です。スティーブ・ジョブスにも影響を与えた、という人です。

 

●2010年代のボカロシーン

「千本桜」、「カゲロウデイズ」という二つのヒット曲に象徴される、曲の背後にユースの好む物語世界を持つという「物語音楽」の潮流を取り上げています。

こうして、2011年の「千本桜」と「カゲロウデイズ」のヒットは、音楽の消費を巡る状況に新たな側面を生み出していく。

この二曲のヒットをきっかけに、小説やマンガやアニメやミュージカルなど、さまざまな形でメディアミックス的に展開するボーカロイド楽曲が増えていった。ニコニコ動画ボーカロイドシーンのリスナー層が低年齢層に広がり、マーケットが10代に拡大していたことも、その大きな要因になった。

楽曲自体だけでなく、その背景にある世界観やストーリーを読み解きながら消費する「物語音楽」のジャンルが、Jポップやフィールドに登場してきたのだ。

 

それにしれも「世界を変えた」とはやはり誇張ではないか。海外の音楽潮流の中に位置付けたにすぎないじゃないか。そのような向きの読者もいらっしゃるかもしれませんね。著者は、最後に渋谷慶一郎の『THE END』パリ・シャトレ座(オペラ)公演の成功ドキュメントを綴っています。こうして世界の音楽シーンと接続するわけです。

 

●2007年の「運命的なタイミング」について

本書より、初音ミクの開発理由とヒット理由の概略をまとめてみます。

 

初音ミク自体は初めてのボーカロイドではない。ヤマハが歌声合成技術「VOCALOID」を発表したのが2003年2月。最初のボーカロイドソフトウェアが発売されたのはその翌年。クリプトン社が日本初のボーカロイドソフト「MEIKO」をリリースしたのが2004年11月。3000本を売り、「マーケットとしては大成功」だったが、次が続かなかった。「2006年時点で、ボーカロイドというもの話題に上がること自体がほとんどなくなっていた。」

ヤマハの開発担当・剣持氏曰く、

売れ行きは悪く、社内で肩身が狭い思いをしました。開発チームは縮小、技術者も2007年には私を含め二人だけになり、ミクのソフトを販売しているクリプトン社と相談しました。「最後に面白いことでもやろう」と発案されたのは、合成音声を仮想の少女に歌わせるという、思いもよらぬ発想でした。

コンセプトをバーチャルアイドルと定め、シンガーではなく声優を起用した。「開発にあたっては、様々な呪文のような五十音の組み合わせを沢山喋ってもらい、それをひたすら録音していくという作業が、四時間ずつ、二日間にわたって行われた。」

こうして初音ミクは2007年8月31日に発売。

「当初の目標をはるかに超え、初音ミクは発売直後から爆発的なヒットを記録した。」

ここまでの記述で分かるのは、開発側がそこまでの需要を当て込んだわけではないということだ。ではなぜ数あるボーカロイドの中で、初音ミクだけが成功を収めたのか。

ここで著者が援用するのが「同人音楽」というキーワード。そのような文化フィールドが2007年までに広がっていた。誰もがクリエイターになれるというフィールド。そして、同人音楽における肉声の「歌姫」の需要と供給不足を埋めたのが「電子の歌姫」。

しかし最大の要因はやはり2007年に本格的に稼働し瞬く間にネットユーザーに浸透した、「ニコニコ動画」の登場。

アイドルマスターの人気からニコ動でMAD動画(アイマスMAD)が盛り上がった。しかし、商用コンテンツの著作権の取り締まりが厳しくなった。しかしニコ動のユーザーの祭りは止まらない。そこで当初は「代用品」として重宝された初音ミク。カバー曲よりもオリジナル曲が増えていった。またたくまに創作の連鎖が起きた。

 

と、ここまでがブームの背景についてです。

著作権について

ブーム後に生じた著作権の問題についても記述があるので、メモっておきます。

 

初音ミク著作権を持つクリプトン社の伊藤氏は、そのような同人文化の熱に驚かされた。若いころオープンソース・ソフトウェアの恩恵にあずかっていた伊藤氏は、初音ミクの権利関係に関して「ルールを育てる」という英断を行った。「オープンソースのようなライセンスシステムを整えようと思った。」クリエイターの創作意欲を殺がない形で、二次創作のガイドラインを定めたという。

 

それとカラオケの権利の話もありました。

 

「P feat 初音ミク」という歌手名が定着したカラオケ。ユーザーからのリクエスト投票に押されて、作曲者とコンタクトをとり、最初に配信を始めたのはJOYSOUND。しかし曲の作者に印税収入が入るシステムはなかった。著作権使用料の分配を受けるためには、JASRACに自分の作った楽曲を信託する必要があったが、多くのボカロP(作曲者)たちはJASRACに対して反感、不信感を持っていたため、信託をしなかったという。

一方でJOYSOUND側は、作曲者に対して収益を還元できる方法を模索していたという。そんな中、2010年に行われた「ニコニコ生放送」の討論番組をきっかけに新しい動きが生まれた。参加者はJASRAC、ボカロP、ドワンゴJOYSOUNDをそれぞれ代表する立場の人たち。信託の形式を「全信託」ではなく「部分信託」とし、信託する著作権を「演奏」と「通信カラオケ」に限り、すべてをJASRACに委ねない形で、折り合いがついたという。「この『部分信託』という仕組みによって、ボカロPは、ネットでの自由な楽曲の使用を許諾しながらカラオケによる収入を得ることが可能になった。」

 

巻末に、トピック年表や、本文中で紹介されたヒット曲などの一覧などがあればよかったと思いました。

 

Google Chromeの日本版CMに起用された初音ミク


Google Chrome : Hatsune Miku (初音ミク) - YouTube

本書のインタビューでディレクターが次のように発言しています。

アメリカレディー・ガガジャスティン・ビーバーが有名ですけれど、…日本でも何かそういう事例がないかと思って…ウェブ発で一人の個人が何かを成し遂げた事例を1000件くらい調べたんですが、どこか地味なんです。…なんでだろうかと考えたら、日本のウェブ文化は、沢山の人が作るカルチャー であって、特定の個人の文化じゃないんだっていうことに気づいたんです。…そこで、N次創作の象徴としての初音ミクを起用ということが決まったのです。

 

●おまけ

著者が出版時にラジオに出演したときのもの。概ね本書の内容をなぞっています。パーソナリティーの荻上チキは平静とネットカルチャーに造詣ありすぎる。


荻上チキ・Session 22 柴那典「初音ミクはなぜ世界を変えたのか」 - YouTube

 

*1:ただしうろ覚えですが、当該書ではカウンターカルチャーとネットの勃興について、もう少し慎重な判断をしていたような気がします