お楽しみはパジャマパーティーで

読書の備忘、アニメの感想などを書いています

『東京ESP』の第一話

『視覚文化「超」講義』でぼんやりと得心したのは、文化とは自由なものだということ。それでいてその自由を拘束しようとする言説があることで成り立っているものだということ(本の議論で言えば「レギュレーション」の問題)。つまり「なんでもあり」でありつつ「なんでもはダメ」(だってそうすると文化を担保するものがなくなるから)という感じ。

 

で、今期のアニメで『東京ESP』というものが放映しております。それについて徒然に考えていたら、すこし『「超」講義』の議論と重なるネタが出てきたので、書いてみようというわけです。

 

東京ESP』は第一話で、同じ原作者の『喰霊』とのコラボレーションが話題となりました。東京の上空にラピュタ状の国会議事堂が浮いている。そこを根城にミュータント達が東京にテロを仕掛けている。という唐突な導入で第一話は始まります。東京の各地で同時多発的にミュータントが暴れパニックとなる街。そして窮地に登場する善のミュータントたち…といった展開で、コラボが醸す謎のカメオ感も含めて、視聴者おいてけぼりの勢いですが、私はX-MENばりの演出を楽しみました。ところが第二話以降は、過去にさかのぼりその発端となる通常のストーリーが始まります。つまり、第二話以降を継続的に見ると第一話はプロットあるいは構成上の操作でしかなかったということになる。私はすこし興味を失っています。

私自身が第一話で楽しんだのはそのスタイルです。ハリウッドのブロックバスターなど、どこかでみたような活劇を、アニメでやっている。*1その感じが新奇で面白かったのです。ところが第二話以降は、漫画のアニメ化といった演出に落ち着いてしまった。さきにX-MENぽいと書きましたが、厳密には先行作品や引用元など良く分っていないので、「どこかで見た」感だけを 感じたということです。こういうのを「パスティーシュ」と言います(たぶん)。(たしか)フレドリック・ジェイムソンという批評家が「パロディー」という 概念と対比して論じており、その文脈で捉えると分かりやすいです。ありていに言えばパロディーは引用元を意識した知的な諧謔パスティーシュは人口に膾炙 した「それっぽさ」の演出であるあまり知的ではない模倣、という対比でしょうか。

まあ私なんかは『東京ESP』の第一話を見て、このパスティーシュな遊び心が突き抜けてていいんだよな、さすが『神のみぞ知るセカイ』の監督だ。などと悦に入っていたわけです。

それで『神のみぞ』も思い出していると、よく考えたら『神のみぞ』の遊び心はどちらかというとパロディーだな、と気づいたわけです。たとえば「よっきゅん」という私を大いに笑わせてくれる美少女が登場しますが、それは「いたる絵」と呼ばれるキャンプな作風のパロディだと解説されています。そう、解説されている、というのは私自身が「よっきゅん」を見たときには「いたる絵」を知らなかったからです。つまり後追いで調べて「あれはいたる絵というもののパロディだったのか」ということを経験したのです。でも「よっきゅん」はそれ自体でパスティーシュな魅力を持っていました。そしてそれを調べることで、私は「いたる絵」について知り、パロディへと「よっきゅん」の情報構造を読み変えた―それもまたアニメから連続している楽しみである。『「超」講義』を読んで、こういう了解の仕方を啓発されたわけです。

パロディーだから偉い/パスティーシュだから残念(レギュレーションの問題)、という思考にはまらない柔軟な受容。『「超」講義』が持っている熱は、そういうもののような気がしました。

 

ちなみに昨今放映されているアニメはほとんどがラノベなりマンガなりの原作を持っています。そして原作すべてはアニメ化で描ききれない。つまりアニメから入った人にしてみればそれは裏設定ということになります。たとえば私自身、前クールの『彼女がフラグをおられたら』や今クールの『六畳間の侵略者!?』といった日常系風のハーレム・ドラマが繰り広げられるアニメを見たときに、wikiなどで概要を調べようとすると、その意外な世界設定に驚かされ、ついつい興味深く読んでしまいます。

たしか宇野常寛ガンダムシリーズを貫く宇宙世紀という歴史設定について、いわばアニメの外部にあるコンテンツとしての物語、その重要性について語っていました。あるいは『「超」講義』の参考文献にも載っていたのめりこませる技術 ─誰が物語を操るのかでは、ハリウッド映画や日本のゲームにおける、似たような具体的実践を紹介していました。先述のガンダムとは異なり、スターウォーズ・シリーズではファンコミュニティが世界設定を精緻化していったという記述があったと思います。

*1:そういえば『タイガー&バーニー』はアメリカンではあったが、ハリウッド感は感じなかった。