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読書の備忘、アニメの感想などを書いています

『視覚文化「超」講義』

ニコ生PLANETSで「日本最強の自宅警備員」としてユーザーに愛されている石岡良治さんの単著『視覚文化「超」講義』を読んでいます。

 

一読した印象としては、論旨が分かりづらい。というか、そういう大きな流れのある記述ではなく、枝葉で言及される作品やコンテンツへの雑多な目配せ、その丸飲み感が本書の醍醐味といえるかもしれません。一人の人間が広範囲な文化をフラットに語っている、というその実践と事実に驚くというか。

 

YouTubeで石岡さん自身の宣伝動画を見ることができます。


『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)石岡良治さん Long Ver - YouTube

動画の最後の方で次のように言っています。

「調べれば調べるほど知らないことが出てくるのが、情報過多時代の特徴。つまりコンプリートが不可能となっている。そのことの積極的な意味がだんだん見えてきたのが現代だと思っている。」

 

たとえば一般には、そういう「文化」に対するイメージは「重い」もので、それを処理したい、つまりコンプリートしたいという欲求が発想が生まれます。『「超」講義』の文脈で言えば、選別されたクラッシック(古典)に身を任せる教養主義的な発想でしょう。

 

ここで著者が提案しているのは、コンプリートの欲求からの発想の転換です。ただそれが具体的にどのようなものかは動画では語っていない。『「超」講義』の錯綜した語りというのは、ある種その実践と言ってもよいのかもしれません。

 

巻末の國分功一郎氏との対談で次のように言っています。

「僕は情報の消費モデルについては、速度を多様化することの方が重要だと思っている。例えば、超加速だって批評的な介入になりうる。僕は日常的にたくさんのアニメや映画を観る必要があるから、時には1.5倍速、2倍速で観た上で、何度もリピートすることがある。味わうという行為は常に減速だと考えられがちなんだけど、それは違う。加速したものを何度も繰り返し検討するような、10本ワンセットといったモデルもあってもいい。」

 

たとえば、こういう記事もあります。

→『映画けいおん!』を二倍速で見て楽しんだっていいんだ( http://d.hatena.ne.jp/mattune/20140601/1401613293

 

最近ドラマ化もされている『アオイホノオ』。1980年代のオタク文化の雰囲気の一端を知る資料でもありますが、そこで語られている、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』を記憶に刻みつけるというエピソードを読むと、その変化は対照的ですね。

 

文化に対してどうも真面目になりすぎるきらいがある、と自覚のある人には良い処方箋かもしれません。